Ranne   -warp flower-


アオイとヒガレがトウゴウの研究施設に来て二ヵ月が経とうとしている頃だった。

アオイとトウゴウの共同で開始された実験体の生成作業は順調に進み――その日、始めての稼動実験が行われる事になったのだ。

「これより実験体、一丸参式の稼動実験を開始したいと思います」

トウゴウは、アオイやその他の研究員達に、今日行われる実験の内容と職員への指示を出していく。

「予てよりアオイ博士の協力を得て生成していた一丸参式の生体組織が安定状態に達したので、補助器を外し、個体自体の生命活動で、この安定状態を維持させることが今回の目標となります」

一丸参式と呼ばれるこの実験体は、培養液と生命維持装置によって、今日までにその身体を作り上げる事に成功した。一つの生物として独立して生命活動が可能な段階まで来たため、生命維持装置を外して、単独の生物として生命活動で自立できるかどうかを確認するのが今日行われる実験なのである。

それと同時に脳組織に信号を与え、一丸参式の脳組織を活性化させる予定である。分かりやすく説明するのであれば、深い睡眠状態にある脳を目覚めさせるという事だ。

自立しての生命活動が成功するかもそうだが、覚醒した脳がどのような反応を見せるかは、正直な所、彼ら研究者達にも予測できていない。

しかし、成果を得られていないトウゴウやアオイ、研究者達には焦りがあった。こうして共同で研究を行っていた2ヵ月の間にも空想皇国の戦力は疲弊を続ける一方で、いくつかの領地を他国に占領されてしまっていた。

研究としての確実な安全性の確認よりも、少しでも早い研究成果を得なければならない。そのため例えこの研究がどのような失敗をしたとしても、多少強引な研究をする事になる、そこから得られるものは大きいからだ。

「では、実験を開始する――君、始めてくれたまえ」

そしていよいよ一丸参式の生命維持装置が取り外しが開始された。

順番に実験体の身体に取り付けられていた器具や管などが取り外される。器具が外れる瞬間に一丸参式の身体が驚いたかのように、痙攣したような反応を示す。

「取り外し完了しました」

一丸参式には生命維持装置の他にも、生体情報を計測する器具がいくつか取り付けられている。研究者達はそこから送られてくるデータが、生命維持装置を取り外す前の状態から変動して、異常を示していないかの確認を行っていく。

「計測値問題ありません」

「こちらも許容範囲内で問題ありません」

研究員たちから報告が上がってくる。トウゴウもアオイもまずは一安心する。

「とりあえずやりましたね」

アオイがトウゴウに声を掛ける

「ええ、アオイさんがいらっしゃる前までは、生体を安定させる事すら困難でしたから、本当に感謝しています」

「いえ、トウゴウさんのそれまでの研究過程があったからこそ、この期間でここまでこれたのです」

「そうですね、私たちの努力の結晶――そして次の実験こそが最大の関門となる部分……それでは取り掛かりましょうか」

そしてトウゴウ達は術式によって生成した人口の生物――本来の自然界にはありえない異物をこの世界に生み出す事になる。

一丸参式――トウゴウの研究所で生み出された試作生物兵器。その怪物は、人に近い特徴をしてはいるが、2メートルを超える巨体を持ちながら、実にその動きは身軽で、4本の腕は生物を軽く引き裂く事のできるような腕力を持つ。

この一丸参式を戦場に大量投入できれば、その後の空想皇国の歴史のありように大きな変化が生じたかもしれなかった。

しかし、現実はそうはならなかったのである。

「計測値に異常ッ!全ての数値が標準値から大きく振り切れていますッ!!」

研究員が声を荒げて異常を周りの研究員達に伝えるように叫ぶ。

「これはいかん、実験は一時中止だッ!一丸参式の覚醒を止めろッ!」

トウゴウの指示で、職員たちが実験を中止しようとするが――。

「ダメですッ!一丸参式の覚醒数値が止まりませんッ!!」

「薬物投与開始します!」

この薬物は一種の睡眠薬のようなもので、緊急用の保険として用意されていた。そしてその溶液が管を通して、一丸参式の体内に注ぎ込まれる。

だが――。

「グゥルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

研究室に怪物の雄叫びが響き渡る。

一丸参式が拘束具を破壊して起き上がる。

「一丸参式が……目を覚ました……」

トウゴウは複雑な心境でそうつぶやいた。

なぜならこの実験が一つの成功を収めたからだ。自分が生み出した生物が――成果が目の前で動いている。研究者としてこれほど嬉しい事はない――いや、これは一種の親心や愛情に近いものなのかもしれない。それは長い年数を掛けてやっと漕ぎ着けた研究の成果で、自分の子供のようなものだ。

だが、一丸参式は意図しない覚醒の仕方で目覚めた――つまり、これは暴走だ。

――そして。

「ぐぎゃああああああああああああッ!」

一丸参式の一番近くで作業をしていた研究員の1人が、暴走したその怪物の手によって身体を半分に引き裂かれて絶命した。

……研究室は阿鼻叫喚が響き渡り、地獄そのものだった。

暴走した一丸参式が次々と研究員を手に掛けていく。

その絶望的な光景にアオイは眩暈で倒れかけるが――ヒガレがそんなアオイの身体を支える。

「気をしっかり持てアオイ、時間を稼ぐから急いで逃げろ!」

そうアオイに言葉を残し、研究室の出口に向かうように促す。そしてヒガレは腰に下げている鞘から刀を抜く。

「私が相手をしてやる、掛かって来い」

血だまりが広がり飛び散った研究室で、ヒガレと一丸参式は対峙する。

「グゥルアアアアアアアアアアアッ!!」

睨み合いも一瞬にして、雄叫びを上げて一丸参式がヒガレに飛びかかった。

『ヒガレ=シザキ』

アオイ=イトスギの護衛役であり、彼女の親友……一見、アオイの従者のような立場にも見えるが、ヒガレの種族は、八大貴族の一つにして鬼族を束ねる夜叉族である。

鬼族は全体として、戦闘に特化した身体能力を持っているが、夜叉族は特に秀でている。当然、ヒガレも高い戦闘能力――特に剣術に優れている。

だが、そんな彼女を持ってしても、一丸三式の相手は一筋縄ではいかず、押されていた。

ヒガレに掴みかかるように襲ってくる一丸三式を迎え撃つように刀を水平に構え、彼女はそこから刀で一丸三式を切り抜いた――が、肉を切る手応えはなく、鋼鉄に弾かれるような感触を得る。

ヒガレの鋭い剣筋も鋼のように硬い4本の腕に阻まれ、思うように攻撃が届かないのだ。

ヒガレの刀を弾いた腕とは別の腕が、裏拳で彼女の背中に襲い掛かる――をヒガレも振り向きながら刀で受ける。

しかし、一丸三式の拳は重く、刀で受けた勢いを受け流しきれずに、ヒガレが大きく吹き飛ばされて、研究室の壁に叩きつけられた

「――っぐァ!!」

叩きつけられた衝撃で肺が潰れて、呻くような声が漏れる。

「……滅茶苦茶な化け物が……だが、アオイの目指す足掛けだ、こんな所で終わらせるわけにはいかない、大人しくしてもらおうかッ!」

ヒガレが全身の魔力を右手に集中させ、自分の足元の地面に当てるように流し込む……すると、何もないはずの地面からいくつもの人のようなものが出現する。

まるで怨霊のような骸の姿をした人型のそれが数十体、これが夜叉族の――ヒガレの魔法、いくつもの骸を生み出してそれを自在に操る能力である。

同時に出現させられる、操れる数には限界はあるが、骸自体は何度でも生み出すことができる、無限の兵士達である。

その魔法は、空想皇国が必用としている疲弊しない戦力という研究に非常に近い性質を持っている。

アオイとの出会いの切っ掛けも、ヒガレのこの魔法が術式研究の参考として引き合わされたことに起因する。

術者本人であるヒガレほどではないが、それに近い戦闘能力を持つ複数の骸が、連携して一丸三式に襲い掛かっていく。

他人とでは、例えどれ程の鍛錬を積んでも、完璧な連携というものを実現するのは難しい、特に集団で相手を囲む場合、どうしてもその人数の有利の差を生かしきれなくなっていく。しかし、ヒガレの操る骸たちは、理想通りの、ヒガレの思い描く連携の形をタイムラグなしに実現できる。

隙を与えない絶え間ない連続の攻撃が人丸三式に浴びせられる。例え鋼のように硬い4本の腕を持っていようと、数十体の骸達の連携攻撃を防ぐ事はできない。

そして、一丸三式の身体に少しずつダメージを与えていく……流石にその攻撃に耐えかねたように、一丸三式が大きく身体を回転させて、敵と自分の回りに空間を生み出す。

その一瞬の隙から、一丸三式がヒガレに向かって突進――そのあまりの勢いと速さに反応できず、跳ね飛ばされるヒガレ。

取り巻きを無視して、直接術者を叩こうというその動き。直感や本能からの行動なのか、一丸三式にその程度思考を行う知能があるのかは定かではないが、ヒガレは一丸三式を侮っていた。

そして術者の意識が一瞬飛んだ影響で、骸達の動きが止まる。

自分の体当たりで吹き飛ばしたヒガレとの距離を再び詰める一丸三式。

ヒガレも受け身を取り、崩れている体勢を整え直そうとする――だが、一丸三式の一撃目の方が早かった。

無理な体勢からその一撃目を刀を使って受け流すが、反対側の腕から繰り出される二撃目を防ぐことができず、ヒガレの顔の左側を大きく抉る。

「ぐあああああああああッ!」

だが、ヒガレも二撃目を防ぐことができないと判断して、捨て身のカウンターで一丸三式に自分の刀を深々と突き刺していた。

痛みに耐えかねるように、ヒガレの胴体に三撃目を入れて、大きく吹き飛ばした。

流石に一丸三式もこの攻撃は堪えたようで、よろめいて膝をつくが、ヒガレにはもうその隙のできた一丸三式に攻撃を仕掛ける事は出来なかった。

一丸三式から受けた三撃目の攻撃を諸に受けたヒガレの内臓は大きく損傷し、瀕死の状態の彼女は、床に転がったまま微かなうめき声をあげる事しかできなかった。

「しっかりしてヒガレッ!」

アオイの呼びかける声が聞こえる。ヒガレは、それに返事をしようと声を出そうとするが、思うように声が出せない。

身体が痛い、余りの痛みでいつ意識が飛んでもおかしくない、ヒガレは自分がもう助からない事を感覚的に悟る。

「ヒガレッ――ヒガレッ!!……お願いだから、諦めないでッ!!」

死ぬ前に……自分がアオイの背中を後押ししなければいけない事がある、彼女が恐れて先に進む事をためらっている事があった。

――人の身体を直接使った術式の研究。それはアオイの本来の研究テーマである。

身体の部分的な術式の施術などではなく、全身を改造をして、根本的な生命としての構造を作り直すのに等しい。

死体やモルモットを使っての実験はアオイも何度も行っているが、成功させるための糸口にさえ辿り着けていない。

非常に難しい技術であるが故に、未だにアオイも生きた人にこの施術をする事を踏み出せずにいるし、だからこそ部位に絞った強化の研究をする事になったのだが、それすら思うようには行っていないのだ。

だからこそ、ヒガレは彼女に伝えなければいけない、彼女を後押ししなければいけない。

そして、ヒガレは最後の力を振り絞って声を出す。

「アオイ……私が実験体に……なる」

どうせ助からない命だ。そう、全身を作り直すような改造手術をしない限りは……。

「できないよッ!」

アオイは大きく首を横に振ってヒガレの申し出を否定する。

「お前の研究の……貴重な一歩……繋がるなら…………いや違うな……」

ただ、ヒガレが礎になるだけでは、アオイの覚悟は決まらない、彼女はそういう子だ。だからヒガレは言葉を改める。

「私は……お前を信じている……大丈夫だ……だから、私を……助けてくれ……」

「――ヒガレ」

アオイは息を飲む。覚悟をしなければならないのだ、文字通り親友の命を掛けたその覚悟を。

自信なんてものはない。だが、ヒガレは自分を信じてくれている。いつもヒガレはそう言って背中を支えてくれた。だからこそアオイにとってもヒガレは掛け替えのない大切な親友なのだ。いつも自分を支えて守ってくれるヒガレが――大切な親友が私に助けを求めているのだから。

「必ず――助けるから!」

そして、アオイはヒガレに術式を施す手術を行うのだった。