Eltofeena   -lost queen-


ローザが倒れてから一週間……寝ている時間が日に日に多くなり、彼女の容態は少しずつ悪くなっているようだった。

ローザに無理をさせたくはない状況だが、一般常識というものが無いエルトフィーナはローザに頼らざるを得ないため、彼女が目を覚ますたびに情報を得る形になっていた。

買い物はもちろん、町の住人達とのやり取りの仕方など、それ自体は子供でもできる内容である――ローザの代わりといえど、最低限これができれば生活を誤魔化す事はできるのだが、しかしエルトフィーナの存在は、エリュシーナの住人からしてみれば偽りの塊だ――ローザの病弱な娘として他人と接しなければいけないのだが、ある日突然に上流階級で生活してきた者が一般庶民を演じるというのは難しい事だった。

実際、エルトフィーナも努力してはいたが、町の住人側からしてみれば違和感は拭えなかった。

ローザが倒れた途端に現れた病弱な娘――ローザから話には聞いていた事だったが、実際にエルトフィーナの姿を見るのは誰もが初めてだったのだ。

一切その姿を見せないので、寝たきりの状態や出歩く事も困難な程度に身体が弱い少女だと思われていた存在が、突然に出歩いているだけでも違和感があるのだが、さらには言葉遣いや常識の無さで、不審極まりない印象を持たれていた。

これに対するとりあえずのエルトフィーナの言い分は、軍人の家の娘で、エリュシーナでの療養でだいぶ身体がよくなってきた所だったというものだった。

――エルトフィーナへの不信感はあれど、ローザが倒れた事は本当であり、町の医者が実際にそれを確認している――このためローザの日頃の人当たりの良い性格が幸いして、周りの住人達の意識はローザの容態の方へ向いてくれたようだったが、もしかするとエリュシーナのという町が色々な事情を抱えた人々が集まる町だった事も影響しているかもしれない。

そして、その日もエルトフィーナは、いまだ慣れない買い物をして、ローザの待つ家へと帰宅した。

早速、エルトフィーナは、購入してきた食材でローザの食事作りを始める。

ローザが倒れるまでの数週間で、料理という物の基礎の基礎は学んだエルトフィーナだが――まだまだ分からない事だらけなので、飽きが来ないように別の料理にも挑戦して行かなければならない状況に苦労していた。

「私であれば、同じ食事どころか、味がない物でも問題なく摂取できるのだが……」

――人が感じる美味しいや不味いといった感覚が分からないエルトフィーナにとって、美味しい料理を作るというのはとても難しい事だった。

教わった料理は、その通りに再現すれば問題ないが――新しい料理ともなれば、特に味付けのさじ加減が難しい……ローザは嬉しそうに食べてくれる事から、食べられないほど不味い料理にはなっていない様子ではあるが……。

「もう少し食事と言う物も考察しておくべきだったな……今となって悔やんでも仕方がない事であるが」

――ただ栄養を摂取するだけの行為としてしか認識していなかった食事というものを、今さらになって思い知らされるエルトフィーナであった。

……ガチャリと静かに扉を開けて、ローザの眠る部屋に入るエルトフィーナ。

その手には、野菜を柔らかく煮込んだスープが乗っていた――今日、エルトフィーナが買い物に出た際に、近くに住む住人から教えてもらった料理だ。

エルトフィーナがローザの横まで行くと、自然にローザが目を覚ました。

「……目が覚めたかローザ――食事を持ってきたが、食べられそうか?」

「――陛下、ありがとうございます……頂きます」

その言葉を聞き――エルトフィーナはローザの状態を起こさせる。

エルトフィーナはスプーンで自分の作ったスープをすくい――ローザの口へ運び、飲ませてやる。

「……すまんな、私では味の調整ができない――美味しくないかもしれないが、栄養はあるはずだから我慢してくれ」

「――いいえ、美味しいですよ陛下……あなたは何でも完璧にこなされます」

「例え美味しい不味いが分からなくても、陛下が丁寧に作ってくださった料理が美味しくないわけがないのです、陛下が作ってくださる料理はとても私の料理の味に近いですもの」

ローザはとても嬉しそうにエルトフィーナに微笑む。

「そんな馬鹿な事、今日の料理などは、他人から教わった料理だぞ?」

エルトフィーナは教わった通りに完璧にこなす事が得意だが、逆にアレンジは苦手だ。

だが、ローザはエルトフィーナにこう告げる。

「陛下は味覚が無いわけではないでしょう?」

「数か月間ですが、毎日私が調理した料理を食べてくださいました――陛下は何でも食べて下さるものですから、料理はついつい私好みの味になってしまって……」

それはローザの娘が好きだった、家族へ作る料理の味――ローザにとってもそれが美味しくないわけがないのだ。

「……私は知らず知らずの内にローザの味付けの癖を憶えていたという事か」

美味しい不味いの判断はできないが、美味しいという概念がどういう物かを覚える事はできる――それは今までエルトフィーナがしてきた事と何ら変わらない。

「本当に、ずっと陛下のお傍にお仕えさせていただきました」

「……私のような何の力もない者をずっと置いてくださって、心から感謝しております」

後に歴史の1ページとしてその名を長く留める存在だ――ローザの目から見てもエルトフィーナの存在は偉大だった。

「陛下のような方が私と同じ味の料理を作ってくださるなんて、私はなんて幸せ者なのかと……」

「――お前はよく尽くしてくれたさ……今だって国を敵に回した私なんかの傍にいてくれているではないか……料理だっていくらでも作ってやる。」

――願わくばもっと長く傍にいて欲しい。

「陛下、無礼を承知で……一つだけ、我がままのお許しを頂けませんか?」

――ローザは少し悩んだ様子でその言葉を切り出した。

「私はもう皇帝でも貴族でもない……ローザの好きなようにして構わん。」

「――ありがとうございます」

そしてローザはエルトフィーナの頬に手を伸ばして――彼女にこう告げた。

「エルトフィーナ様、あなたは私の大切なもう一人の娘です……早くに娘を亡くした私には貴女という存在は救いでした」

「だから……私の亡くなった娘の分も生きてくださいませんか?」

……その言葉はエルトフィーナにとって、この世界で生きて行く意味になる。

だがそれは同時に彼女を永遠に縛る呪いでもある。

エルトフィーナ自信には何も無いからこそ、他人の与えたそれが彼女の全てとなり、それは彼女を生涯縛る鎖となる。

――かつて本当の母親が彼女に与えたそれとなんら変わらない――それはエルトフィーナが生まれた時から変わらず背負う物だ。

ローザの娘という他人の願いによって生き続けるか――全ての柵から解放された本当の自分と向き合う道を選ぶのか。

――”感情を持たないエルトフィーナ”はその選択の境界に立っている。

嬉しい、悲しい、楽しい、辛い――人が持っていて当たり前の感情というものがエルトフィーナには欠落していた。

だから、彼女はいつもそれを客観的に観測し、概念として感情を扱ってきた。

楽しいから笑う事もなく、悲しみで涙を流す事もなく、苦しみから絶望する事もない。――彼女にとって、日々の生活というものは全てが作業だった。

母親が彼女に課した、リクライアス家復興のために捧げられた幼少の日々も、女王としての多忙な日々も、他人との会話ややり取りも、毎日の食事さえも全てこなすだけの作業。

――だが、苦痛など感じない。何もかもが同じなのだから。

そして人として致命的な彼女は――しかし偉大な女王だった。

そんな彼女が本当の開放を手に入れた時――得るものはなんだと言うのか。

ローザはエルトフィーナのこの本質を理解していた――そしてそれを承知した上で、だからローザはエルトフィーナを縛る呪いを託す。

エルトフィーナを娘のように思う気持ちは、ローザの紛うことなき本心。だからこそ娘に生きてほしいと願うのは、人して当たり前の事――母親として当然の事にすぎない、しかしエルトフィーナにはそれが彼女を縛る全てになってしまう。

ローザにも本当に正しい選択は何なのか分からない。生きる道を押し付けるのは傲慢なのかもしれない――だが生きていくことが間違いなんてあり得ない事だ。

……だからローザはエルトフィーナに未来を託す。

そして、他者に望まれてしまえば、エルトフィーナが選ぶ選択肢は一つしかなかった。

「分かった――私はあなたの娘として生きようローザ」

……その一言を聞きローザは安心したのかゆっくりと眠りについた。

その様子を見てしばらく――エルトフィーナがふと我に返ると自分の頬に何かが伝う感触に気づく。

「……泣くとはこういう物なのか」

父親や母親が死んだ時さえ、涙など流した事がなかった彼女が、この時に初めて涙を流した。

――それは自分にも感情の欠片と言うものが存在している事を初めて認識した瞬間だった。

この欠片を成長させる事ができれば、エルトフィーナも感情を得る事ができるかもしれない。

――そう、それはエルトフィーナがローザのおかげで手に入れた希望だった。

そして数日後、ローザは静かに息を引き取った。

ローザの死後、エルトフィーナは自分の名前をエルトフィーナ=リクライアスから改め、エルトフィーナ=スフェアリーとして――ローザの本当の娘として生きていくのだった。